物性実験の自動データ解析システムをmdxで共有する
mdx利用事例 CASE 9

物性実験の自動データ解析システムをmdxで共有する

試料にX線を照射して得た回折ピークパターンには、試料の結晶構造に関する詳細な情報が含まれています。その構造の違いにより、物質はさまざまな性質を示します。
大阪大学の小野寛太 教授は次のように指摘します。「結晶構造と物性の関係についての新しい物理法則を見いだすことができれば、画期的な機能を持つ新材料の開発にもつながります。新しい発見にはスループットを上げることが重要です。しかし実際の物性研究の現場では、試料調製から計測、データ解析という結晶構造を導き出すまでの実験に多くの労力が割かれています」
この課題に対し、小野教授らの研究グループは、試料調製から計測までをロボット技術で自律化した装置を開発。さらに計測したデータをmdxへ送り、自動的に結晶構造を導き出すデータ解析システムを構築しました。
実験装置とmdxを連携させることで物性研究のプロセスを革新する、小野教授らのユニークな取り組みについて話を伺いました。
小野 寛太 氏 小野 寛太
ONO Kanta
大阪大学  大学院工学研究科 
物理学系専攻 応用物理学コース 教授 

専門は固体物性。博士(理学)。東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了。東京大学大学院工学系研究科助手、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所准教授などを経て、2021年より現職。
鈴木 謙介 氏 鈴木 謙介
SUZUKI Kensuke
大阪大学 大学院工学研究科 
物理学系専攻 応用物理学コース 特任研究員 

博士(工学)。東北大学大学院工学研究科博士課程修了。東北大学金属材料研究所などを経て、2023年より現職。
四本 優斗 氏 四本 優斗
YOTSUMOTO Yuto
大阪大学 大学院工学研究科 
物理学系専攻 応用物理学コース 博士前期課程2年


ロボット技術で粉末試料の調製からX線計測までを自律化した「ARE」


── 従来の物性研究のプロセスにはどのような課題があったのでしょうか。

小野:私はこれまで、新しいX線顕微鏡などの開発を行い、例えば小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」から持ち帰った岩石サンプルの計測などを行ってきました。現在は、新しく開発したX線計測装置を、仙台市に新設された放射光施設「ナノテラス」に導入し、実験を進めているところです。

しかし、新しい計測装置の開発だけでは物性科学の発展には不十分です。物性研究の現場では、多くの研究室がX線を用いた結晶構造解析を行っていますが、これらの実験は依然として人の手で行われており、多大な労力を要します。

また、試料調製の過程が十分にデータ化されておらず、再現性にも課題があります。そこで私たちは、ロボット技術を活用して、粉末試料の調製からX線計測までのプロセスを自律化しました。これにより、試料調製の工程のデータが記録可能となり、高い再現性も実現できるようになりました。この装置の開発を担当した一人が四本優斗さんです。

四本:粉末X線回折法(XRD)の実験をロボットで自律化したシステムを「ARE(Autonomous Robotic Experimentation system)」と名づけました図1。XRDとは、粉末状の試料にさまざまな角度からX線を照射して反射強度パターンを測定する手法で、得られたデータを詳細に解析することで試料の結晶構造を解き明かすことができます。

まず、乳鉢に試料を入れ、乳棒で粉砕して粉末にしたり、複数の試料を混ぜて合成したりします。このとき、どのくらいの力を乳棒にかけるかによって、試料に起きる反応や結晶構造が変わることがあります。しかし従来は、この作業を人の手で行っていたため、どれだけの力をかけたのかといったデータは残りません。また、同じ人であっても、毎回同じ力をかけるとは限らないので、完全に同じ状態の試料に調製することは困難で、再現性に乏しいという課題がありました。ロボットを用いれば、加えた力を数値として記録でき、常に一定の力で作業を行うことで試料調製の再現性の問題も解決することができます。

ロボットアーム(UR5e)に取り付けた乳鉢で試料の粉砕や混合を行う作業を自動化する装置の開発を、研究室の中島優作さん(小野研究室 博士後期課程3年)が担当しました。複数のセンサーで捉えた情報をもとに、粉の状態に合わせて適切な粉砕を行うことができます。
図1 世界初となる粉末X線回折実験の自律型システムARE
図1 世界初となる粉末X線回折実験の自律型システムARE
装置名「ARE(あれ)」は、「2023年にプロ野球日本一に輝いた阪神タイガース 岡田彰布 前監督の言葉にもちなんでいます」(四本さん)。(写真提供:小野研究室)
小野:乳鉢に加える力によって試料に起きる反応や結晶構造が変化するということ自体、ロボットアームで力を精密に制御できるようになったことで、初めて分かったことです。

四本:私は、粉末試料を均一で平たんな状態に詰めた測定サンプル図2を作製し、それをXRD測定装置に運び、計測する過程の自律化を担当しました。

ロボットアーム(COBOTTA)がサンプルストレージから空のサンプルホルダーを取り出し、粉末試料を詰めて測定サンプルを調製。その後、XRD測定装置に測定サンプルをセットして計測を行い、測定後はサンプルを取り出してストレージに戻すといった一連の作業を完全に自動化しました。
図2 ロボットが調製した粉末X線回折法用の測定サンプル
図2 ロボットが調製した粉末X線回折法用の測定サンプル
粉末の詰め方によっても、計測されるXRDピークパターンに違いが生じることがあります。人の手で行う場合、個人差や手技のばらつきが再現性の低下の一因となっていました。そこで、ロボットの動作手順やパーツ素材などの検討を重ねることで、標準的な手作業と比べて100分の1ほどの量の粉末でも均一に詰められるようになり、高い再現性で測定サンプルを調製できるようになったのです。

小野:液体の混合を行う実験装置は以前からありましたが、固体を粉末にし、測定サンプルを作製するまでの工程を自律化した装置はほとんど前例がありません。さらに私たちは、AREで測定したデータをmdxへ送り、自動的にデータ解析を行うシステムを構築しました。粉末試料の調製からX線計測、そしてデータ解析までを自律化したシステムとしては、AREが世界初だと思います。

AREは市販の装置に専用パーツを導入して改造する形で開発しました。専用パーツは3Dプリンターで自作し、一つのパーツに多機能性を持たせる工夫をしました。今ではAREのパーツの素材や動作手順を人がまねています。
── 四本優斗 氏
四本優斗 氏

結晶構造の詳細情報を導き出すデータ解析の難しさ


── データ解析にはどのような課題があるのでしょうか。

小野:XRDのピークパターンには、試料の結晶構造に関する詳細な情報が反映されています。しかし、ピークパターンから化学結合の種類や電子状態など、結晶構造の本質的な情報を読み取るデータ解析は困難です図3。解析には熟練が必要だといわれていて、たとえ最新のXRD装置で高精度の計測をしたとしても、そこから情報を十分に引き出せていないことが多いと思います。

結晶構造モデルから理論的にXRDピークパターンを再現するための数式には、結晶サイズや原子位置など数十個のパラメータがあります。XRDの解析では、全てのパラメータを最適化して測定データを再現するパラメータ値を探しますが、パラメータの数が多いのでかなり難しく、解析条件を変えながら試行錯誤を重ねて最も妥当な結晶構造モデルを見いだします。

試料の調製や計測といった実験自体も手間がかかるため自動化することが大事ですが、データ解析にも多くの時間がかかります。私たちはデータ解析についても手間と時間を省いて、構造情報に基づく新材料の探索や新しい物理法則の発見に注力したいのです。そのために、mdxを活用してデータ自動解析システムの構築を進めているのが、鈴木謙介さんです。

図3 粉末X線回折法(XRD)とデータ解析のイメージ
図3 粉末X線回折法(XRD)とデータ解析のイメージ
XRDピークパターンを再現する結晶構造モデルを探す。最も妥当な結晶構造モデルを見いだすのは容易ではない。
鈴木:mdxの仮想マシンを用いて、「メイン」と「ワーカー」の二つのサーバーから成る自動解析システムを構築しました図4。AREによる計測が1回行われるたびに、計測データと、このように解析してほしいという指示が、タスクデータとしてAPI経由でメインサーバーへ送られ、タスクキューに格納されます。ワーカーはタスクキューに解析タスクが入ると、非同期かつ自動的にデータ解析を始めます。このとき、ワーカーのある仮想マシンはタスクキューに解析タスクがあるときだけ起動し、解析タスクがなくなればシャットダウンするようになっています。解析結果はメインサーバーへ送られ、蓄積されていきます。

図4 mdx上に構築したデータ自動解析システムの概要
図4 mdx上に構築したデータ自動解析システムの概要
メインサーバーは常に稼働しているが、多くの計算資源を割り当てているワーカーサーバーは解析するときにだけ起動させてコストを抑えている。
鈴木:mdx上に構築したデータ自動解析システムでは、条件を変えて解析を何百回と試行し、その結果の良しあしを機械学習の手法で学習しながら、パラメータの最適化を進めます図5。ただし、学習に用いた解析の良さを示す指標が最も良かったとしても、それが実際に最も妥当な結晶構造モデルなのか、最終的には各研究者が自らの専門知識や経験に基づいて判断する必要があります。

小野:例えば、データ自動解析システムで導き出した結晶構造中のある箇所の原子の位置がどの範囲でどの程度の確率でずれている可能性があるのか、といった情報も解析結果に含める予定です。こうした情報を参考にして最終的に正しい結晶構造を判断するのは、やはり研究者がやるべき仕事です。

鈴木:私たちは、このシステムをWeb経由でアクセス可能な形に整備して、より多くの研究者と共有できるようにする計画です。
図5 データ自動解析の例
図5 データ自動解析の例
mdx上に構築した自動解析システムでは、解析の良さを示す指標が改善するように学習しながら解析条件を変えて繰り返し解析を試行する。100回程度の解析試行で指標が最も良くなる解析結果(の一つ)にたどり着いたことが分かる。
── データ自動解析システムの共有がなぜ重要なのですか。

小野:現在、多くの研究室では解析データの共有はほとんど進んでいません。「あの実験の解析データは?」と尋ねると、担当者がサーバー内のフォルダから探し出してデータをコピーして渡すというような状況です。つまり、データにアクセスできるのは実質的に担当者個人のみというケースがほとんどです。

鈴木:私たちが開発したmdxの自動解析システムをより多くの研究者に活用いただくことで、さまざまな試料に対する解析事例を蓄積することができます。多様で膨大な事例を機械学習も活用して分析することで、XRDデータから結晶構造情報をより高精度に導き出すデータ自動解析の改良を進めることができます。

小野:多くの研究者にこのシステムを使ってもらうことで、事例が蓄積するほどより賢く解析ができるようになる仕組みをつくりたいのです。そして将来的には、Webサイト経由で誰もがmdxの解析システムにアクセスでき、熟練者と同等以上の精度で結晶構造解析が行える環境を構築することを目指しています。

mdxの解析システムを公開してさまざまな試料の解析事例を共有することで、データ自動解析を改良していくことができます。
── 鈴木 謙介 氏
鈴木 謙介 氏

mdxの三つの利点


── なぜ、mdxを利用することにしたのですか。

鈴木:まず、民間のクラウドサービスに比べてコストが低いことです。また、研究室で物理マシンを購入すると、初期設定や運用管理、メンテナンス、データのバックアップなどを全て自分たちで行う必要があり、手間がかかります。mdxの仮想マシンならば、それらの作業を運営側が担ってくれるので、手間が省けるメリットを実感しています。さらに、mdxを運用する情報科学の専門家に、困ったときに相談できることも大きな利点です。

小野:物性研究の現場では、試料調製から計測、データ解析までを研究者自身が手作業で苦労して行ってきました。そうした現場の研究者がmdxを活用し、自らシステムを構築することで、実際の現場で本当に使いやすく、役立つ研究環境が実現できるはずです。


共有の輪を広げる


── 今後、mdxの解析システムをどのように発展させていきますか。

鈴木:現在はmdxの解析システムは私たちしかアクセスできないように制限しています。ほかの研究機関の研究者もアクセスできるようにしたいと考えていますが、そのためにはセキュリティーやスケーラビリティーなどの課題を解決する必要があります。

小野:そうした課題については、mdxの運用を担う情報科学の専門家と連携しながら一つずつ解決し、共有の輪をさらに広げていきたいと思います。いずれは、産業界とのデータ共有も視野に入れています。実用化が近い段階の実験データを企業が公開することは難しいでしょうが、基礎研究段階であれば一定の条件下でデータの共有は可能だと考えています。あるいは、目的を達成できずに失敗に終わった実験データであれば、公開してくれる企業もあるかもしれません。

アカデミアでも産業界でも、膨大な量の失敗データが未活用のまま埋もれているのが現状です。そうしたデータを共有することで、当初の目的とは異なる新機能を持つ材料の開発や、新しい物理法則を見いだしたりするヒントが得られる可能性があります。

私たちの研究室のモットーは「工学から新しい物理を見いだす」です。人が時間をかけて行ってきた実験や計測、データ解析のプロセスをロボットやAIで自律化し、得られたデータを共有・再利用することで、研究者が物性の新しい物理メカニズムの発見や新材料の開発に注力できる環境をmdx上に構築したいのです。このような、研究プロセスそのものを革新するmdxの活用法は、物性分野に限らずほかの研究分野でも適用可能だと考えています。
研究プロセスにロボットやAIを導入する中で、研究者が力を注ぐべきところはどこか、これからの研究における人間の役割についても提言していきたいと思います。
── 小野 寛太 氏
小野 寛太 氏
取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト
撮影:奥野竹男