毎晩30TBずつ増え続けるデータの行く先
── トモエゴゼンとは、どのようなプロジェクトですか。
酒向:トモエゴゼンは、木曽観測所のシュミット望遠鏡に広視野の動画カメラを取り付け、夜空の広い範囲を高頻度で動画撮影を行い、変わりゆく宇宙の姿を捉えるプロジェクトです図1。突然明るくなる超新星爆発など短時間で変動する天体現象を研究する分野は「時間軸天文学」と呼ばれ、近年注目を集めています。10分、1時間、1日などさまざまな時間スケールの変動現象が観測・研究されていますが、1秒スケールで広範囲の夜空を観測しているのは世界で唯一、トモエゴゼンだけです。
図1 トモエゴゼンカメラ
世界初の天文用広視野CMOS撮像装置。84枚の高感度CMOSイメージセンサーで構成され、口径105cmシュミット望遠鏡の主焦点に取り付けられている。
── トモエゴゼンプロジェクトには、どのような難しさがあるのでしょうか。
酒向:観測データが一晩で30TBも生成されます。さらに、これらのデータから1秒前の宇宙と現在を比較して、天体が消えた、明るくなった、移動したといった変化を見つけなければなりません。そのためには、ビッグデータを高速で処理できる計算機が必要です。また、毎晩30TBずつ増え続け、1年間で2PBに達するデータを保存するためのストレージも必要です。
ビッグデータの処理に困るということは2014年にプロジェクトの検討を始めた当初から分かっていました。シュミット望遠鏡ドームの1階にある計算機室でデータの処理と解析、保存を行うことで数年間はやっていけると見込み、根本的な対策は先送りしていました。そして2019年10月に本格観測が始まると、もう猶予がないと、情報系の研究者に助言を求めました。
その結果、解決すべき二つの課題が見えてきました。一つは、ネットワークを高速化すること。国立情報学研究所が運用している学術情報ネットワーク「SINET」を紹介されました。もう一つは、膨大なデータの転送先を確保することです。このとき、mdxという学術研究基盤の試験運用が2021年度に開始予定であることを知りました。
── 民間のサービスを使うことは検討されましたか。
酒向:いくつか調べましたが、私たちにとって重要なのは、コストと継続性です。天文学は10年、100年と継続的に行うものです。利用料が高額だと、研究費が潤沢なときは問題ないが、途切れた途端に支払いが困難になります。サービスが終了してしまったら、新たなストレージを探してデータを移行する必要があります。そのような理由で研究が止まってしまう事態は避けなければなりません。ビジネスと学術では、思想が異なります。mdxとSINETは学術的な思想に基づくサービスであると聞き、それが利用の決め手になりました。
mdxとSINETは学術的な思想に基づくサービスであることが利用の決め手になりました。
── 酒向重行 氏
山間部にある木曽観測所とmdxを高速ネットワークでつなぐ
── トモエゴゼンが本格観測を開始したとき、木曽観測所のネットワーク環境は、どのような状態だったのでしょうか。
森:木曽観測所内のネットワークは10Gbpsの速度が出ましたが、外部とつながるネットワークはNTTの1Gbps光ファイバー回線のみでした。トモエゴゼンのデータ処理、解析、保存は全て所内の計算機室で行っていたため、外部にデータを送る必要はなく、このネットワーク環境で十分対応できていました。
一方、データをmdxに送るためには、SINETの接続ノードまで10Gbpsの回線を自前で用意しなければなりません。木曽観測所から最寄りの接続ノードは、長野県長野市と愛知県名古屋市で、どちらも約140kmの距離がある状況でした。
── 木曽観測所からSINETの接続ノードまで、どのようにして高速ネットワークをつなげたのでしょうか。
森:まず、長野県木曽地域に独自の光ファイバー網を持っている木曽広域連合に相談したところ、科学でのネットワークの有効活用や地域での教育利用の可能性に意義を認めていただき、木曽観測所から長野県塩尻市までの専用線の整備にご協力いただきました。並行して国立情報学研究所に、長野県松本市への接続ノードの新設を要望しました。トモエゴゼンがSINET経由でmdxを利用することの意義を認めていただき、松本に接続ノードが開設され、残る塩尻—松本間の約15kmについては、木曽広域連合がNTTと相互接続の契約を結び、その回線を木曽観測所―塩尻間と合わせて有償で利用させてもらえることになりました。
2023年3月、木曽観測所とmdxが高速ネットワークでつながりました。しかし、SINETに接続した当初は、1Gbps以下の通信速度しか出ませんでした。原因を突き止め、その問題を解消するのに半年かかりました。現在は、最大9Gbps程度の通信速度が出ています。
酒向:木曽観測所は地元と良好な関係を築いていて、皆さんからは「わが町の天文台」として親しまれています。プロジェクト名のトモエゴゼンは、木曽義仲として知られる源義仲と共に源平合戦で活躍した女性武将、巴御前にちなんで付けられました。このような背景があったからこそ、木曽広域連合をはじめとする皆さんの惜しみない協力を得られたのだと思います。
観測所の地元である木曽地域の協力がなければ高速ネットワーク化は実現できませんでした。とても感謝しています。
── 森 由貴 氏
mdxにビッグデータを転送・保存し、世界へ発信する
── トモエゴゼンでは、mdxをどのように利用しているのでしょうか。
瀧田:トモエゴゼンカメラは可視光で一度に満月84個分に相当する20平方度の広い空を毎秒2フレームの動画観測を行い、得られた動画データはシュミット望遠鏡ドームの計算機室にある一時保存ストレージに格納されます。解析サーバーで超新星などの突発現象や地球接近小惑星などの高速移動天体を検出・解析した後、動画データは圧縮して画像に変換され、長期保存用アーカイブに格納されます。このデータはmdxに転送され、保存されています図2。mdxの利用はまだ1年なので、現在はデータの保存のみを行っていますが、今後さらなる活用を計画しています。
図2 トモエゴゼンのデータの流れ
── どのようなデータプラットフォームの構築を計画されているのでしょうか。
瀧田:変動現象が検出されたら、ほかの天文台や人工衛星によってさまざまな波長の電磁波などですぐに追観測を行うことが、その変動現象を理解するために不可欠です。そのために、mdxに転送・保存したデータをリアルタイムで公開することを計画しています。欲しいデータを容易に入手できるように、ウェブからアクセスできるインターフェースを作成する予定です。
現在、動画のスキャンは1回のみで、見落としの可能性がありますが、詳細な解析を木曽観測所の計算機で行うのは困難です。そこで、将来的には動画データもmdxに転送して解析を行うことも計画しています。動画データを公開し、多くの研究者が多角的に解析することで、私たちが見逃してしまうような現象を掘り起こしてくれることを期待しています。
酒向:mdxの使い方には、データの保存や解析のみのケースもあるでしょうが、トモエゴゼンでは、その先の公開まで行います。mdxから世界中の天文台や人工衛星、研究者などに情報を公開し連携することで、時間軸天文学の進歩に貢献する。それが、トモエゴゼンがmdxで目指すことです図3。
図3 情報共有による時間軸天文学の連携
瀧田:トモエゴゼンでは、教育普及も重要なテーマです。トモエゴゼンで観測した画像データを閲覧できる「スカイアトラス」
※1
というウェブアプリを開発して運用しています。画像は毎日更新され、観測日の異なる画像を比較することで、毎晩同じように見える星空も少しずつ変化していることを実感いただけます。スカイアトラスは今、東大本郷キャンパスにある計算機で運用していますが、これもゆくゆくはmdxに移行する予定です。
酒向:トモエゴゼンは今、光ファイバー網など地域の資産を使わせていただいています。mdxやSINETに接続していることが地域のプラスになるようにしなければいけません。スカイアトラスはその一つですが、さらに何ができるかを考えているところです。
毎晩生み出される30TBのデータを保存し、リアルタイムで解析し、世界に公開する。それをmdx上で実現します。
── 瀧田 怜 氏
山間部の研究施設がmdx、SINETを利用するモデルケースに
── mdxを利用して感じていることをお聞かせください。
瀧田:私たちは天文学者であり、エンジニアではないので、データプラットフォームの構築にはとても苦労しています。エンジニアにとっては簡単なことでも、私たちは迷走してしまうことがあります。データ取得の意図や、どのような情報が研究者にとって重要なのかを理解していることも必要なので、天文と情報、両方の知識が求められます。トモエゴゼンでは、天文学者が情報系についても学び、時には情報系の研究者からアドバイスを受けながら進めています。
これまでは、計算機の調達から立ち上げ、トラブル対応まで自分たちでやっていましたが、mdxは仮想マシンのためすぐ利用でき、分からないことも丁寧にサポートしてもらえるので、とても助かっています。
── mdxの利用を検討している方へメッセージをお願いします。
酒向:mdxの素晴らしさをここでお伝えしたいところですが、私たちもまだ試行段階です。天文分野でmdxを本格的に使うのは、トモエゴゼンが最初ではないでしょうか。天文台の多くは山間部にあり、高速ネットワークの整備が遅れています。天文学に限らずそうした場所で研究している方々も、トモエゴゼンのSINET接続やmdxを長期的に安定して使い続けられるか、動向を見ているのではないかと思います。皆さんには「トモエゴゼンを注視していてください」と伝えたいですね。トモエゴゼンでうまくいけば、天文分野でmdxを使いたいという研究者が増えるのではないでしょうか。
取材・構成:鈴木志乃/フォトンクリエイト
撮影:石渡菜々子/STUDIO CAC