地道 正行氏
JIMICHI Masayuki
関西学院大学商学部教授
専門は統計科学(数理統計学、データ解析、データ可視化)。博士(学術)。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程退学。大阪大学基礎工学部文部技官教務職員、関西学院大学商学部専任講師、同助教授を経て、2007年より現職。
企業の健康診断書ともいわれる財務諸表。専門の知識がないと読み解きにくいものですが、そこには売上高、営業利益、純資産、キャッシュフローなど企業の経済活動の財務的結果がすべて記載されています。関西学院大学商学部の地道正行教授と阪智香教授は、世界中の企業の財務諸表データを集めて解析・可視化するという世界初の研究に取り組み、企業が生み出した付加価値の分配の国ごとの違いなど、これまで知られていなかった企業活動の実態をグローバルな視点で明らかにしつつあります。mdxを活用し、多くの方たちの協力を得て行われているこの研究をご紹介します。
地道 正行氏
JIMICHI Masayuki
関西学院大学商学部教授
専門は統計科学(数理統計学、データ解析、データ可視化)。博士(学術)。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程退学。大阪大学基礎工学部文部技官教務職員、関西学院大学商学部専任講師、同助教授を経て、2007年より現職。
阪 智香氏
SAKA Chika
関西学院大学商学部教授/サステナビリティ研究センター長
専門は会計学。博士(商学)。関西学院大学大学院商学研究科博士課程後期課程単位取得満期退学。同大学商学部専任講師、助教授を経て、2008年より現職。財務会計基準機構サステナビリティ基準委員会(SSBJ)委員をはじめ審議会委員等を多数務める。
「阪先生と共同研究するようになったきっかけは、『世界中の企業の財務諸表を解析し、結果を可視化したい』と相談されたことでした。世界中には数千万を超える企業があるので、これは無茶振りともいえるような相談でしたが、僕はその大変さに気づかず、やれるかなと思ってしまいました」と、地道教授は研究を始めた2015年当時を振り返ります。一方、阪教授には熱い思いがありました。「会計学の分野では、多くの企業の財務諸表を集め、着目した要素を抽出して解析することが広く行われてきました。しかし、会計学者が解析に使うのはパーソナルコンピュータ(PC)で、扱えるデータの量には限りがあります。そのため、解析結果にバイアスがかかる可能性があります。例えば、『日本の企業はアメリカの企業より利益率が低い』という解析結果が出たとしても、それは、比較対象がアメリカの一部の先端企業だけだったためで、アメリカの全企業と比べたら結果は違うかもしれないといったことが起こりうるのです。ですから、私は『全体』を見たいと思いました」。
しかし、阪教授の思いに応えるには、PCをはるかに超える性能の解析環境が必要です。どうすればよいのかと模索していた地道教授に、学際大規模情報基盤共同利用・共同研究拠点(JHPCN)※1※1 スーパーコンピュータを持つ国内8大学のセンターを構成拠点とする「ネットワーク型」共同利用・共同研究拠点。萌芽的な研究から大規模な計算資源を用いて行う本格的な学際研究まで、様々な共同利用・共同研究課題を採択・実施する。採択された課題に対し、無償で計算資源を提供するとともに、各拠点の研究者および技術資産を用いた研究支援を行う。
https://jhpcn-kyoten.itc.u-tokyo.ac.jp/ja/を紹介したのは、当時東京大学情報基盤センター助教だった宮本大輔さん(現 東京大学大学院情報理工学系研究科准教授)でした。地道教授は、JHPCNの2017年度の課題に阪教授、宮本助教、さらに、統計科学の中でも時系列解析を専門とする関西学院大学商学部の永田修一准教授とともに応募して採択され、計算機システムを利用した共同研究を開始しました。
以来、課題は継続して採択され、財務ビッグデータの解析と結果の可視化に取り組んでいます。その中で、mdxを2021年度 から利用するようになりました。地道教授は統計科学が専門であり、計算機システムに不慣れというわけではなかったのですが、「mdxは非常に高性能であり、また、IaaS※2※2 Infrastructure as a Serviceの略称。コンピューターシステムの構築に必要な計算ノード、ストレージ、ネットワークなどの資源をインターネット上で提供する仕組みのこと。型のサービスであることから、最初の要件定義では、CPUやGPUをどのぐらい使わせていただくのがいいか迷いました。また、大規模なだけにシステムソフトウェアも特殊で、例えば、僕が知らなかったLustre※3※3 HPC(High Performance Computing)分野で主に用いられている大規模並列分散ファイルシステム。というファイルシステムが実装されており、それに由来するトラブルもあって苦労しました」といいます。ほかにも、mdxを研究に利用するためにさまざまな試行錯誤を重ねましたが、着実に成果をあげはじめています。
2022年度、地道教授らは世界140カ国の全上場企業約10万社の主要な財務情報を29年分抽出し、経時変化を観測しました。中でも阪教授が着目したのは、企業が生み出した付加価値のステークホルダーへの分配です図1。「世界中の上場企業の大きな傾向として、従業員への分配が減り、株主への分配が増えています。国別に見ると、特にアメリカでは2010年頃から株主への分配が増加しています。一方、ドイツやフランスでは従業員への分配が高い割合で維持されています。このような『富の分配』の実態は私たちの解析で初めて明らかになりました。『会社は誰のものか』という議論がありますが、付加価値の適正な分配比率を探るにはまずみんなが実態を知らなければなりません。その実態を可視化できたことには大きな意味があると思っています」と阪教授は説明します。
オレンジ色が債権者、緑色が従業員、青色が政府、紫色が株主への分配を表す。世界140カ国のグラフは、阪智香(2022)「グローバルな財務・ESGデータ分析からみえる課題」『国際会計研究学会年報』2021年度第1・2合併号、pp.57–69より。アメリカとフランスのグラフは阪智香(2022)「探索的データ解析にみるビジネスとサステナビリティ」『商学論究』第70巻第1・2号合併号, pp.211–226より。
また、地道教授らは、企業の環境情報等と財務情報を合わせて解析することにも取り組んでいます。その成果の1つを阪教授は次のように説明します。「企業のESG活動※4※4 Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)を考慮した企業活動のこと。の評価スコアと株式時価総額の相関関係を可視化したところ、ESG活動に熱心に取り組む企業は株価が高いことが一目瞭然となりました図2。国際的に企業の環境への取り組みを投資家がポジティブに評価する流れがありますが、それをはっきり示したことで、企業のサステナブルな行動を後押しできると思います。また、私たちが消費者や就活生という立場で企業を見るときにも、このような解析結果を判断材料にして環境問題に取り組む企業を応援することで、経済社会をサステナブルな方向に向けていく手助けができると思います」。
このように、データを可視化することには、専門家以外でもデータの意味を把握することができるという大きなメリットがあります。さらに、可視化は専門家にとってもメリットがあると、阪教授はいいます。「例えばこのグラフでは、ESG活動の評価スコア、株式時価総額、売り上げ、国、年の5つの変数が可視化されており、いろいろな視点でデータを見ることができます。そうした中で、どの変数とどの変数に関係があるかを見つけていくことができるのです」。大規模なデータを使うことでバイアスがかかっていない解析ができ、それを可視化することで新たな発見が可能になる――阪教授は、mdxを用いた研究にワクワクしているようです。
世界49カ国の2401~3945社について、2015~2020年の6年間にわたって解析した。ESG活動の評価スコアは、FTSE Russellというイギリスの投資家向け情報分析機関が発表したESGレーティングに基づく。1つの丸が1つの企業。丸の色の違いは国の違いで、例えば、赤はアメリカ、水色は中国、黄緑色は日本。丸の大きさは売り上げの大きさを表す。この図は2020年時点のキャプチャだが、実際には時系列変化も見ることができる。阪智香(2021)「ESG情報と企業価値」『商学論究』第68巻第4号、pp.149–170より。
地道教授らは、上でご紹介したような研究では、大学のPCなどとmdxを場面に応じて使い分けていました。しかし、地道教授らの最終的な目的は、世界の全企業(上場・非上場)約2600万社の財務データを解析・可視化することです。「財務データはテキストファイル形式ですが、2600万社の10年分を集めると140ギガバイトにもなります。我々は、この膨大なデータをmdxの資源図3上で素早く処理することを目指してきました。データを解析する前に『前処理』と『ラングリング』という工程があるのですが、そのどちらにもいろいろな苦労があり、ごく最近になって全体を高速化できる見通しが立ったところです」と地道教授はいいます。
この研究での前処理とは、テキストデータをコンピュータが読める形式にすることです。「問題になるのは、財務データの数字には3桁ごとにカンマが入っていることです。CSV形式でデータの区切りに使われるカンマと区別がつかなくなってしまうため、数字のカンマは全部取り除かなければなりません。これはWindowsのメモ帳でできるような単純な処理だと思われるでしょうが、ファイルの規模が大きくなると膨大な時間がかかります。また、『手作業』で処理を行うと、再現性に難点が生じます。そこで、Unix 系 OS 上のインタープリタやコマンド等を利用した処理方法を確立し、これをmake コマンドで自動実行することで再現性も確保しました。さらに、152個のCPUを並列に利用することで高速化を図った結果、これまでローカル環境で6時間程度かかっていた前処理を1時間程度で実行できるようになりました図4」と、地道教授は振り返ります。
ビューロー・ヴァン・ダイク社が提供している世界の全企業(上場・非上場)の財務データベースOrbis2019から、約2600万社の最長10年分のデータを抽出して前処理を行った。GNU parallel はCPUコアを並列で利用して処理するためのツール。Rはデータ解析環境であり、ここではインタープリタとして使われている。
次に行うラングリングとはどんな工程で、mdxでの実行にはどんな苦労があったのでしょうか。地道教授はこう説明します。「小さいデータならメモリに読み込んで解析できますが、140ギガバイトものデータではそれができません。このため、前処理したデータをデータベース化し、そこからデータを再抽出して解析できる形式に変換します。この工程がラングリングです。我々は、PG-Strom というソフトウェアを用いてラングリングの高速化を試みてきた図5のですが、チューニングが難しく、4時間以上もかかっていました。商用ソフトであるPG-StromはOSが商用LINUXだとうまく動くのですが、mdxのOSであるUbuntuとは相性が悪かったのです。ところが、2023年の10月からPG-Stromの開発者の方々(日本仮想化技術株式会社: 宮原 徹氏、遠山洋平氏、ヘテロDB株式会社: 海外浩平氏)と共同研究を始めたところ、11月中旬には最短6分程度にまで短縮することができました」。
ラングリングでは、PostgreSQLというソフトウェアを利用して膨大なデータをデータベース化し、さらにRを利用してそこから必要なものを再抽出し、分析・解析できるオブジェクト形式への変換を行う。地道教授らは、PG-Stromというソフトウェアを利用してこの工程を高速化することを試みてきた。
こうして地道教授らは、前処理とラングリングの高速化に成功しました。次の解析・可視化工程にかかる時間も、mdxを使うとローカル環境の3分の2程度に短縮できそうだということです。「これまで上場企業10万社を対象としていたときと同じスピードで、上場・非上場2600万社を対象とした処理・解析ができるという手応えが得られました。阪先生がやりたいことに応えられる体制が整ってきたのです」と地道教授は胸を張ります。
mdxの利用開始から1年半ほどでここまで到達できたことについて地道教授は、「僥倖(ぎょうこう)だと思っています。専門が異なる4人のメンバーで課題に取り組んだことに加え、ラングリングの高速化ではソフトウェア開発者の方々が、また、財務データについてはベンダーの営業担当者の方(ビューロー・ヴァン・ダイク社の増田 歩氏)がメンバーと同様に協力してくれました。それがなかったら、絶対にできなかったと思います」と、関係者全員に感謝しています。
mdxについては、「多数のCPUやGPUを使った高性能な計算機環境を自由に構築できることに感動しました。mdxを利用する以前に開発してきたプログラムをmdx上で動かすには苦労もありましたが、結果的に処理の高速化を達成できました。JHPCNの課題に採択され、このような環境を基本的に無料で使わせていただけることをありがたく思っています」といいます。mdxを使ったからこそ、人と人との結びつきが生まれ、世界の全企業の財務データ解析が可能になったのです。本格的な解析が始まったとき、その成果はきっと大きな注目を集めるに違いありません。
※1
スーパーコンピュータを持つ国内8大学のセンターを構成拠点とする「ネットワーク型」共同利用・共同研究拠点。萌芽的な研究から大規模な計算資源を用いて行う本格的な学際研究まで、様々な共同利用・共同研究課題を採択・実施する。採択された課題に対し、無償で計算資源を提供するとともに、各拠点の研究者および技術資産を用いた研究支援を行う。
https://jhpcn-kyoten.itc.u-tokyo.ac.jp/ja/
※2 Infrastructure as a Serviceの略称。コンピューターシステムの構築に必要な計算ノード、ストレージ、ネットワークなどの資源をインターネット上で提供する仕組みのこと。
※3 HPC(High Performance Computing)分野で主に用いられている大規模並列分散ファイルシステム。
※4 Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)を考慮した企業活動のこと。