常識外の高性能材料をAIで予測する
mdx利用事例 CASE 12

常識外の高性能材料をAIで予測する

環境循環型社会を築くためには、性能が高いだけでなく、耐久性に優れ、使用後には回収・再資源化がしやすい革新的な新材料が求められます。ポリマーなどの材料は極めて多様な構造を持つため、そのような革新的な新材料を生み出せる大きな可能性を秘めています。
「しかし、これまでのAIモデルは、既存の材料と構造や物性が似たものしか予測できませんでした」。そう指摘する東京大学の佐藤正寛 准教授らは、常識外の高性能材料を予測できるAIモデルを世界で初めて提案し、現在、mdxを用いてその基盤システムの構築を進めています。
mdxをどのように役立てているのか、佐藤 准教授らに伺いました。
熊田 亜紀子 氏 熊田 亜紀子
KUMADA Akiko
東京大学  大学院工学系研究科 
電気系工学専攻 教授 

博士(工学)。東京大学大学院工学系研究科電気工学専攻博士課程修了。東京大学大学院新領域創成科学研究科先端エネルギー工学専攻助手、東京電力株式会社技術開発研究所研究員、東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻准教授などを経て、2017年より現職。
佐藤 正寛 氏 佐藤 正寛
SATO Masahiro
東京大学 大学院工学系研究科 
電気系工学専攻 准教授

博士(工学)。東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻博士課程修了。東京大学先端科学技術研究センター助教、東京大学大学院工学系研究科電気系工学専攻講師を経て、2021年より現職。
横山 尋斗 氏 横山 尋斗
YOKOYAMA Hiroto
東京大学 大学院工学系研究科 
電気系工学専攻 修士課程2年


常識外の材料を予測できるAIモデルを世界で初めて提案


── どのようなAIモデルをつくろうとしているのですか。

佐藤:ポリマーなどの材料の構造は極めて多様ですが、実験でその物性を検証できる構造は限られています。そこで、AIを使って材料の物性を予測するモデルの開発が行われています。しかし、従来のAIモデルでは、既存の材料と構造や物性が似たものしか予測できませんでした。構造が大きく異なるものや、今までの常識を覆すような物性を持つ材料は、予測することができなかったのです。

例えばポリマーには、ミクロからマクロまでさまざまなスケールにおける構造の多様性があります。常識外の材料を予測するには、その多様性を網羅したデータベースを構築して、AIに学習させる必要があります。

そのために私たちは、HPCI(革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ)を用いて量子化学計算や分子動力学計算を行い、多様な材料について物性を計算した結果をmdxのデータベースに蓄積します。さらに、mdxを用いて蓄積した大規模データをAIに学習させます。するとAIは、物性予測に必要な物理法則を見いだして、学習したデータにはない構造や物性を持つ材料を設計できるようになります図1
図1 世界初となる粉末X線回折実験の自律型システムARE
図1 常識外の材料を予測できるAIモデルの基盤システム概要図
大規模データの蓄積と深層学習にmdxを用いる。さらに、データ利活用システムの一部にもmdxを利用する。
そのような、学習していないものも予測できる「外挿可能AI」モデルの提案を、私たちは2024年に論文として発表しました図2。構造や物性が既存のものと大きく異なる材料を予測できるAIモデルの提案は、世界初です。このAIモデルは多くの論文で引用され、学会発表ではGAFAなどの研究者から多くの質問を受けています。

その新しいAIモデルを実現するために、修士課程の横山さんたちがmdxを用いて基盤システムの環境構築を進めています。
図2 ロボットが調製した粉末X線回折法用の測定サンプル
図2 外挿可能AIの概念図
外挿可能AIとは、学習データの傾向とは異なる条件や未知の領域に対しても、予測や判断を可能にする次世代のAIである。これにより、既存データの枠を超え、従来よりも格段に優れた未到の高性能材料を創出できる。

計算科学を導入するためのインフラとしてのmdxの利点


── mdxを実際に利用してみて、使い勝手はいかがでしょうか。

横山:膨大なデータを蓄積する必要があるので、mdxの大容量ストレージが役立っています。また、mdxには公式テンプレートが豊富にあり、それを使ってウェブ上で計算環境を構築することができます。環境の設定や変更が容易なので、とても使いやすいですね。

── 研究室を主宰する熊田教授から見て、mdxを導入したメリットはありますか。

熊田:私たちは電気系工学の研究室で、実験を中心に研究を進めていました。ところが、10年ほど前に博士課程の院生だった佐藤さんが、計算科学で物性を予測する研究を始めたのです。当初は物理マシンを導入しましたが、すぐに計算資源の拡充が必要となりました。しかし、物理マシンの追加や更新は、購入コストや設置スペースの問題から容易ではありません。また、電気代などのランニングコストやメンテナンス費用もかかります。

一方、mdxのような仮想マシンならば、計算資源の拡充が容易です。私たちのような実験系の研究室が計算科学を取り入れる上で、mdxはとても役立っています。学生は数年で入れ替わり、研究テーマの多くも数年で新陳代謝します。計算環境の設定や変更が容易なmdxは、そのような大学の研究室の状況に適しています。

横山:学生間でのデータやコードの共有にもmdxを用いており、同一環境での実行や結果の再現がしやすい体制を整えています。そうした運用により、計算結果の蓄積からモデル化、検証、共同作業までをスムーズにつなぎ、研究開発のサイクルを効率化しています。さらに、運用やメンテナンスの手間が少ないことも見逃せません。mdxを利用することで、計算インフラの対応に時間を割かれず、研究そのものに集中できることは大きなメリットです。

mdxの課題を強いて挙げれば、AIの深層学習などで使うGPU処理が混雑していることが多いので、その計算資源を拡張していただけると、より利用しやすくなります。

mdxにより計算インフラの対応に時間を割かれず、研究そのものに集中できます。
AIで常識外の物性を予測するだけでなく
そこに働く普遍的な原理の解明を目指しています。

── 横山尋斗 氏
横山尋斗 氏

従来にない構造や物性を持つ材料が研究対象に


── 新しいAIモデルは、誰がどのような予測で利用することを想定しているのですか。

横山:利用者を限定せず完全にオープンとし、ほかの大学や研究機関、企業の人たちにも使っていただくことを想定しています。予測の最終形としては、「このような物性を持つ材料が欲しい」と入力すると、それに対応する構造からつくり方までをAIが提案できるようにすることを目指しています。

佐藤:すでに低分子では成果が出始めています。AIモデルが予測した今までにない構造と物性の低分子を実験で検証し、予測が正しいことを確かめています。

── 電気系の材料には、どのような性能が求められるのですか。

熊田:送電ケーブルに使う絶縁材料でいえば、高電圧・大電流でも漏電や破壊が起こらない高い絶縁性能が求められます。絶縁性能が高められれば、その分、材料の使用量を減らせます。送電ケーブルは、長大なものを50年から100年という長期間使用します。そこに使う絶縁材料には、低い製造コストや優れた耐久性も求められます。さらに、環境循環型社会の実現のためには、使用後の回収・再資源化がしやすいことも重要です。

佐藤:送電ケーブルは巻いて搬送し敷設するので、そこに使う絶縁材料には、柔軟性も必要です。ポリマーは柔軟性があり、コストも低く抑えられる可能性があります。しかしこれまでの常識では、絶縁性能を高めると硬くなって柔軟性が失われてしまったり、使用後の回収が難しくなったりするという、トレードオフの関係がありました。そのような常識を打ち破り、絶縁性能が高く、柔軟性もあり、使用後の回収・再資源化も容易な材料をAIで予測できるようにしたいのです。

── AIの予測が正しいかどうかを実験で検証する必要がありますね。
熊田:実際の電力網に使用される材料には、用途ごとに性能や評価方法に関する規格が定められています。そうした規格試験そのものを行う認証設備ではありませんが、私たちは高電圧・大電流を発生できる研究用の高圧実験施設を用いて、材料の基礎的な性能や挙動を、実使用に近い条件下で検証してきました図3

この施設では、新しい材料を試験用の電極や装置に組み込み、電界や電流が材料に与える影響を詳細に調べることができます。これまでは、既存の材料と構造や物性の近いものを主な実験対象としてきましたが、今後はAIモデルの予測に基づき、従来とは異なる構造や機能を持つ材料にも対象を広げることで、実験科学の新たな展開が期待されます。

── mdxを利用したAIの予測モデルの研究は、ほかの分野でも有効でしょうか。

佐藤:ポリマーと同様に、極めて多様である一方で実験データが限られている分野には、特に有効なはずです。例えば、自動運転や自律ロボットなど「フィジカルAI」の分野です。自動運転や自律ロボットを取り巻く状況は実質的に無限とも言えますが、実験できる状況には限りがあります。外挿可能AIによって、これまで学習していない状況にも適応できるようになるでしょう。

図2 ロボットが調製した粉末X線回折法用の測定サンプル
図3 東京大学 本郷キャンパスの工学部13号館にある高圧実験施設
この施設を用いて、AIが予測する常識外の材料を電力網に組み込んだときの性能を実験的に検証・分析できることも、熊田研究室の強みの一つである。
mdxを計算インフラとして利用することで、実験と計算科学の連携によるユニークな研究体制で電気工学を推進しています。
── 熊田亜紀子 氏
熊田亜紀子 氏

材料の製造から使用後までを総合的に予測する基盤モデルを構築


── 研究の今後の展望をお聞かせください。

横山:私たちのAIモデルが常識外の予測を行えるのは、構造と物性に関する物理法則を見いだすからです。ただし、その物理法則を記述する数式は複雑で、すぐに人間が理解できるとは限りません。私はAIモデルの構築を進めるとともに、そのような物理法則の解明を目指します。

佐藤:従来の材料開発は、経験則に従って性能の良いと思われるものをつくっては実験で確かめることを繰り返す、トライ・アンド・エラーが主流でした。しかしそれでは性能は少しずつしか向上せず、環境循環型社会の構築に本当に役立つ革新的な材料を開発するには長い年月がかかってしまいます。

私たちのAIモデルの最終目標は、材料そのものの物性だけでなく、製造の方法やコスト、装置に組み込んだときの性能や耐久性、さらには製造時から使用後までの環境負荷などをトータルに予測することです。それにより、総合的な視点から環境循環型社会の実現に本当に役立つ材料を効率的に開発できるようになるはずです。そのようなものづくりの基盤モデル(プラットフォーム)の構築を目指します。

新材料の実用化には企業との共同研究が不可欠です。低分子ではすでに企業との共同研究を進めています。ポリマーなどの材料を予測するAIモデルについても、興味を示してくれている企業があります。いずれ、常識外の材料を実用化するための共同研究を始めたいと思います。

熊田:もともと私たちは実験系の研究室でしたが、現在では実験系と計算科学系の研究が半々となっています。私たちのように計算科学を本格的に取り入れている、電気系工学の研究室は、ほかに例を聞きません。そのようなユニークな研究体制の計算インフラとして、mdxは大いに役立っています。実験と計算科学の連携により、電気工学を発展させていきたいと思います。
新しいAIモデルにより、材料の物性から製造、使用時から使用後までトータルな視点で本当に環境循環型社会に役立つ材料の開発を目指します。
── 佐藤正寛 氏
佐藤正寛 氏
取材・構成:立山 晃/フォトンクリエイト
撮影:石渡菜々子/STUDIO CAC